【教員休職中の過ごし方➀】校長が家に来た話

教員休職中の過ごし方

おはようございます!ダニエルです!

前回は、

  • 私が新しい学校へと異動し、そこから感じ始めた違和感と
  • 病院へ行く決意をした経緯
  • そして、管理職への連絡をした日のこと

これらについて話しました

今回は、病院での診断結果を連絡した後、校長から来た連絡

「直接顔を見て話をしたいから、家に行っていいか」

このことについて話そうと思います

休職について校長との電話

校長から顔を見て話をしたいと言われた

校長から連絡があったのが夜11時でした

(私が連絡した時刻も遅かったので仕方ないのですが・・・)

断るわけにもいかず、そこから、私がしたのは部屋の掃除です

校長を案内する部屋がなく、(そもそも家に上司が来る想定をしていないので)

何とかして部屋を空けようと掃除を始めました

部屋の掃除とお茶の用意をして寝たのが深夜1時

翌日は朝6時に目が覚めました

仕事に行かなくてもいいということで楽になっている気もち

校長に会わなくてはいけないということで憂鬱な気もち

両方の気持ちが混在している複雑な気もちでした

うつ病について校長との話

約束の時間に校長を部屋の中へと案内して話が始まりました

校長の質問は以下の5つでした

1 なぜ病院に行こうと思ったのか

2 いつから辛くなっていたのか

3 学校の業務の何が一番の原因だと感じているか

4 家族は知っているのか

5 誰かに相談していたのか

ここからは私が答えた内容になります

1 なぜ病院に行こうと思ったのか

 前回の記事でも書きましたが、自分自身がおかしくなっていることを自分でも感じたことが

大きな原因でした

 さらに、これ以上悪化すると治療が難しくなるのではないかと感じたからでした

 それまでも、自己診断ではうつ病のような結果が出るのですが、あくまで自己診断だったので、

専門医に診断を出してもらいたかった、診断名を聞いて安心したかったという思いも

あるかもしれません

2 いつから教員が辛くなっていたのか

 これは病院でも聞かれましたがはっきりと“この日”と言える日が自分でもわからなく、

徐々に徐々におかしくなっていたという答えしかできませんでした

 嫌なことや辛いことはたくさんありましたが、これまでもそんなことは日常茶飯事で

それをうまくやれていたので、いつからかはわかりませんでした

3 学校の業務の何がうつ病の一番の原因だと感じているか

 これに関しては、学級経営に対する自信が喪失してしまったというのが大きいと思います

 自信を持てるほどの成果をこれまで上げてきたのかと言われると、そんな立派なことは

これまでなかったのですが、それでも、多少は頑張ってやってきたつもりでした

 でも、何一つうまくいかない

 子どもたち、保護者、同僚、先輩、いろんな人に、学級経営について悪いと思われているのでは

ないかと感じていました

 問題も起きるし、保護者からのクレームもくるし、生徒指導や学年主任が

廊下から自分の教室を見てこそこそ話しているし、サポートの先生が入らないとうまく回らないし

 学級経営がうまくいかないということは、授業も、行事も学校生活すべてがうまくいかない

ということです

 これが一番つらかったです

4 うつ病のことを、家族は知っているのか

 家族には少しだけ話をしていました

 ただ、大きな心配をかけたくなかったのと、自分でも命を絶つとかそういった極端な行動は

しないと思っていたので、そんなに心配しなくていいと言っていました

5 教員の悩みについて、誰かに相談していたのか

 正直相談はしていませんでした

 相談といっても、何を相談したらいいのかもよくわかりませんでした

 自分が昔から相談をするのが苦手という理由もあります

 愚痴を話すことが苦手、相談したところで何も解決しないと思っている、

相談しても本気で捉えてもらえない

 いろんな思いがあって相談はしていませんでした

 相談していたら何か変わっていたのか?と考えますが

 正直、大きな変化はなかったのではないかと思います

 環境の変化が起きる前に相談していたらよかったと思いますが、でも、自分の場合は

前の学校で管理職に相談した結果、真剣に捉えてもらえず、何もしてもらえなかったので

そこに対するあきらめもあったのだと思います

校長は、私が話している間、適度に相槌や質問をはさみながら話を最後まで聞いてくれました

また、自分の学校経営や校務分掌が悪かったわけではないと聞けて安心しているようでした

校長と病院へ

こういったことを話した後、校長と再度病院へ行くことになりました

管理職と直接病院の医師が直接、今後の休み方について話をしないといけないらしく

二日連続で病院へと行くことになりました

この時に本当に嫌だったのが、校長の車で一緒に行くということです

病院までの道のりを二人きりで過ごすというのがとても苦痛でした

校長は、善意のつもりで乗せてくれたのかもしれませんが、本当に嫌な時間でした

正直、そんなに話したくないし、気遣いしないといけないのも疲れるし、

どうして別の車で行かせてくれないんだろうと思っていました

車の中では、気を遣って校長がいろんな話をしてくれましたが

まだ何も話さない方が気が楽なのにとさえ思ってしまっていました

病院では、担当医からの質問に答えながら再度、自分の状態の確認を確認し

それを校長に聞いてもらうという感じでした

ただ、正直に言うと、すべてを正直に自分の気持ちを話せるかというとそれは無理でした

校長には話せないこと、話しにくいこと、話したくないこともあります

なので、正直、ところどころ取り繕いながら話をしました

教員休職決定

最終的に、まずは休みながら様子を見ることが大切ということで

少しずつ心のエネルギーを充電していこうという話になりました

診断書を書いてもらい、私の休職期間が始まりました

まとめ

休職決定後、校長とお茶

ちなみに、病院を出た後、校長からもう少し話がしたいと言われ近くに喫茶店に行きました

「今まで辛かったな」と話をしてもらったが、正直、早く帰りたいという思いばかりでした

校長はいろいろと私のことを考えてくれているんだなということもありましたが、

正直直接話をしなくてもいいのにと思うことや、

一人にしてほしいのにということはたくさんありました

これは自分のわがままで、校長は本当にいい人なのかなとは思います

とはいえ、ここから私の自宅療養の日々が始まりました

ここからの生活はどんな日々になるのか、不安だらけでしたが、今回はここまでです

自宅療養の日々については次回の記事にて

以上、ダニエルでした。

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